人工魚礁の歴史と背景

 水中に人工的な構造物を入れると、そこに魚が集まったり、海藻が着生したりすることは相当古くから経験的に知られていた。人工魚礁造成の最古の事例は、承応年間(1652〜1655年)に土佐藩での岩石投入による築磯(つきいそ)、その後も寛政六年(1794年)に淡路島で、魚礁沈設の記録がある。
 明治、大正になると、各地で漁民の知恵が生かされて、大阪府の石積み沈船魚礁、大正から昭和初期にかけて軍艦などの廃物を利用した魚礁が沈設された。また、福岡県では明治年間に土管魚礁の投入が行われていた。
 その後、国が補助金を交付することになり、国策として取り上げられ、昭和7年(1932)には「漁村経済更生計画」の一環として投石などによる補助対象築磯事業が実施された。
 戦後は、昭和27年から「浅海増殖開発事業」として漁場の改良を図るため、築磯、耕耘、整地、客土などが行われ、沿岸漁場の整備のための先駆的事業となった。
 コンクリート製の魚礁が国の補助対象事業として最初に行われたのは昭和29年(1954)からで、「並型魚礁設置事業」により魚礁の投入が各地で実施された。その後200海里問題によって遠洋漁業が衰退傾向を見せ始めるなど、沿岸漁業の役割が重要となり、昭和49年に「沿岸漁場整備開発法」が制定され、計画的に漁場整備が実施されることとなった。昭和51年度から57年度は同法に基づき、第一次沿岸漁場整備開発事業(略称:沿整事業)が実施され、事業費総額が7ヵ年2,000億円で、漁場整備率は8.4%であった。引続き昭和62年まで2次計画(事業費6ヵ年4,000億円、漁場整備率9.4%)、さらに、第3次沿整事業(昭和63年〜平成5年の6ヵ年、事業費4,800億円、漁場整備率10.8%)、第4次沿整事業(平成6年〜13年の8ヶ年、事業費6,000億円、漁場整備率12.3%)が実施された。
 最近においては、平成13年度に水産物の安定供給、水産業の振興、そして漁村の活性化をめざして「漁港漁場整備法」が制定され、漁場と漁港を一体的に整備することとなり、平成14年度から長期計画がスタートした。漁場整備関係では、水産動植物の増養殖を推進する拠点整備概ね750地区、藻場・干潟の造成等による生息環境の保全・創造概ね5000haとなっている。
 このような流れと合わせ、現在の食用魚介類の自給率が53%(平成12年)まで下っていることを考えると、漁場整備の重要性はますます高くなっていると言えよう。